ロイヤル少女まんが賞 コミカライズ賞 原作小説

『運命の、人。』

喜咲冬子

「君は、僕の運命の人だ」
 ♪~
 どこからともなく流れてくる、ドラマチックな音楽。
 目の前の、青い髪の高校生の名は、ユキヤくん。学年一の秀才で、大企業の御曹司。178センチ、A型。趣味はヴァイオリン。会話の端々に父親へのコンプレックスが見え、気を使う。結婚したら、舅との関係が面倒そうだ。
「あ、あの、ユキヤくん……」
「もう、絶対に離さない。――ヒロイン」
 ヒロイン――というのは、不本意ながら私の名前だ。ついでに言えば、苗字は、苗字。
 なぜそうなったかの記憶はないけれど、私は『苗字ヒロイン』としてこの世界に存在している。 
「そろそろ朝のHRがはじまるし、戻らないと。その話は、また今度。――じゃあ」
 ここは、エタニティ学園。
 場所は、体育館の裏――にある、年中キレイな花の咲く庭園。
 私は、このエタニティ学園の二年生――の四周目に入った。
 ユキヤくんに背を向け、私は走り出す。デザイン性の高い制服は、走ると裾が華やかに舞う。
 パルテノン神殿みたいな校舎の玄関で「ヒロイン! おはよう!」と手を振っているのは、赤い髪の同級生・ハヤトくん。駅前の中華料理店の息子。175センチ、AB型。趣味はドラム。――そして、攻略対象。モブの髪は黒いので、判別は簡単だ。
「廊下を走るなよ! あぁ、おはよう、苗字くん。いい朝だな! 生徒会に入る話、考えてくれたか?」
 廊下で声をかけてきたのは、紫の髪の生徒会長・フミヒト先輩。179センチ、A型。前回、生徒会への勧誘がすごすぎて、断り切れずにエンディングを迎えてしまった。生徒会の雑用を手伝う度に音楽が流れるので、妻を労働力とみなすタイプだと思う。
 ――君は、僕の運命の人だ。
 ――貴方は、私の運命の人だわ。
 このセリフが、エンディングの条件らしい。 
 ドラマチックな音楽が流れたあとは、一瞬にして入学式に戻っている。
 戻ると『デスティニーラブ』と頭の中にタイトルが浮かぶので、きっと運命の人を見つけるゲームなのだろう。
(いつ終われるんだろう……このゲーム)
 終わり方がわからない。エンディングを三度迎えた現在も、私はまだ、ゲームの中にいた。
 攻略対象の身長や血液型はわかるのに、私本体の名前も、年齢も、なにもかもがわからない。
「苗字ー、ホームルームはじめるぞー。急げー」
 フミヒト先輩の勧誘を笑顔でかわし、私が廊下を急いでいると、担任の教師が手を振っていた。社会担当の森本先生。180センチ、B型。趣味は昼寝。髪は紺色だけど……攻略対象でないことを祈りたい。ムーディーな音楽が流れだしたら、迷わず警察へ通報するつもりだ。
 私は、自分の席につく。
 窓際の一番後ろ。
 私は、現実の高校生だった頃、この位置に座ったことがある――気がする。こんなキレイな学園ではないけれど。かすかな記憶だけが残っていた。
(私……現実では高校生じゃない気がする。異性を見る目が、結婚前提すぎてシビアすぎるもの。きっと大人だわ)
 ホームルームのあと、そのまま森本先生の授業がはじまった。
「乙巳の変は、中大兄皇子と中臣鎌足が、蘇我入鹿を暗殺し――」
 だが――
 授業はいつも、さわりだけしか聞こえない。
(中大兄皇子が、ナントカ天皇になるのは覚えてるんだけど……)
 現実の私は、日本史が苦手だったんだと思う。中大兄皇子が、のちに天智天皇になったのか天武天皇になったのか、曖昧なままだ。
「なぁ、ヒロイン。今日、一緒に帰ろう」
 横の席のハヤトくんが、ひそひそ声で言った。
「ごめん、今日は用事があって」
 この誘いは断ると決めている。実家の出前を手伝うイベントのフラグだからだ。日が暮れるまで出前をこなして、得られるのはラムネ一本とハヤトくんの笑顔だけ。割に合わない。結婚したら、こき使われそうだ。
「こら、そこ。私語を慎めよー」
 森本先生に叱られて、ハヤトくんはぺろりと舌を出していた。


 ――今日は、花火大会だ。
 アジサイ柄の浴衣姿の私は、一人で、神社に向かう人の流れに逆らって歩いている。
 攻略対象キャラからの、ありとあらゆる誘いは断った。目指すは自宅だ。
(……疲れた。早く帰りたい)
 たぶん、私は恋愛に向いてない。
 乙女ゲームにも向いてない。
 もしかしたら、人生自体に向いてないんじゃないだろうか。
 その時、突然――
「お姉さん、一人? 遊びません?」
 目の前に、ガラの悪い男たちが現れた。
 見るのは三回目(フミヒト先輩ルートでは、学園で生徒会の仕事をするので出てこない)だ。オーバーサイズの派手なTシャツに、ゴテゴテしたアクセサリーも、お馴染みだ。
(一緒にいるのが攻略対象キャラなら助けてくれるけど……これ、私が一人の時でも起きるイベントなの?)
 焦る私に、ガラの悪い男たちが近づいてきた。
 その時だ。
「オレの連れに、なんか用?――ごめん、遅くなって」
 突然、黒い髪の、背の高い少年が現れた。 
 約束なんてしていなけれど、きっと私を助けるために演技をしてくれているんだと思う。
 行こう、と少年が私の手を握って、歩き出す。
(なるほど。全員の誘いを断ったから、新キャラが登場したのね!)
 ガラの悪い男たちは、追いかけてはこなかった。
「あの……ありがとうございます。助かりました」
「いえ」
 繋いでいた手が、パッと離れる。
 少年は、高校生くらいに見えた。黒いTシャツに、ライトグレーのハーフパンツ。膝下がやたらと長い。でも、少し眉にかかる髪は黒いので、通りがかりのモブなのかもしれない。
(睫毛長い。……モブに、こんな作画コストかけたりする?) 
 そんなことを考えていると――ドン! と音がして、すぐにパァッと辺りが明るくなった。
 花火が、はじまったみたいだ。
「わ……キレイ」
 ひと昔前と違って、最近のグラフィックの技術は格段に上がった。これは四回目でも感動できる。
「うちのベランダから、よく見えますよ、花火。――来ます?」
 足が、ぴたりと止まった。
 家に来ない? と誘われている――らしい。
「あ、いえ、帰ります。本当にありがとうございました」
「警戒しなくて大丈夫ですよ。貴女、モブでしょう? 髪、黒いし」
 切れ長の目の少年は、なんでもないことのように言った。
(……?)
 セリフが、変だ。人をモブ呼ばわりする攻略対象などいるだろうか。もしかすると、大人しそうな顔をして、口の悪い俺様キャラなのかもしれない。
「そういう貴方の髪も、黒いですよね?」
「いや、オレ、主人公なんで」
「私もです」
 沈黙が、しばし流れた。
 ただ、花火の音だけが続く。
「少し、話しませんか? そこの公園で。――オレ、苗字です。苗字ヒーロー」
「えぇ、そうしましょう。奇遇ですね。私も苗字っていうんです。苗字ヒロイン」
 私たちは、すぐ近くにあった公園のブランコに座る。
 浴衣を着て、夜の公園のブランコに座り、空には花火。雰囲気はばっちりだ。――会話の内容には、ムードなんて少しもないけれど。
「ヒロインさんがプレイしてるのって、『ディスティニー・ラブ』ですよね?」
「そ、そうです。ご存じなんですか?」
「こっちは『ディスティニー・ラブ/ボーイズサイド』ですけど」
「ボーイズサイド……」
「R-18なんです」
 そうと聞くや否や、私はブランコから降りていた。逃げねば。
「失礼します。急用を思い出しました」
 さすがに、R-18はまずい。嫌だ。無理だ。受けつけない。
「あぁ、心配要りません。オレ、そういの全然ムリなんで。入学式以降、登校もしてません」
 大丈夫、と言いながら、ヒーローくんは肩をすくめた。
「学園もののゲームなのに?」
「そうなんですよ。高校生活をやり直せるゲームを選んだつもりだったんです。ちょっとだけ恋くらいしたいかな……って思ってたら、いきなりR-18って、極端ですよね」
「わかります! 少しくらいトキメキがほしいって思っただけなのに……このゲーム、トキメキしかなくて。ちっとも勉強できないんです」
 私は、もう一度ブランコに座り「極端ですよね!」と、ヒーローくんに強く同意した。
「オレはゲーム本筋と離れた立ち位置が気に入ってますけど、ヒロインさんは、別なゲームに移らないんですか?」
「え? 移れるんですか? どうやって?」
 私の驚いた様子に、ヒーローくんは目をパチパチとさせた。
「どうって……ただ、プレイを終了するだけですよ。VRゲームの世界ですし、ここ」
 VR。つまりこの世界はバーチャル・リアリティ――ということだ。
 わかったような、わからないような。そうと聞いても、なにも思い出せない。
「私、出る方法がわからないんです。エンディングを迎えても、すぐオープニングに戻っちゃって。もう四周めです。元の世界のことも、全然わかりません。ヒーローくんは覚えてるんですか?」
「オレはまだ一周目だし、覚えてますけど……ヒロインさん、もしかして現実の自分を忘れちゃった……ってことですか?」
「はい。覚えてません。なにも」
 話しているうちに、だんだん不安は募ってくる。どうやら、私の置かれている状況は特殊みたいだ。
 顎に手を当て考えこむヒーローくんは、
「……オーバーシンクロシンドロームかもしれません」
 とシリアスな表情で、言った。
「オーバー……シンクロ?」
「VRと脳の、過剰融合です。一時は社会問題になりました。六時間以上のVRゴーグル使用ができないよう、最近のは安全装置がついているはずなんです。……乙女ゲームの四周って、結構な時間経ってますよね?」
 花火はどんどん打ちあがっているけれど、もうそれどころではなかった。
「多分、結構経ってます。……そ、その、過剰融合って、六時間以上経つと、どうなるんですか?」
「六時間ですぐには死にませんけど、最終的には死にますよ。だいたい脱水か、餓死ですね。VRは脳を活性化するから、消耗が激しいんです。一人暮らしなら、倒れたまま死ぬしかない」
 現実を把握した途端、勢いよく血の気が引いていく。
「ど、どうしよう……私、このままじゃ……」
「ヒロインさん、住所は? 本体を助けないと」
「わ、わかりません。……ヒーローくんは、どこに住んでるんですか? 私、たぶん、すごく……ものすごく田舎に住んでる気がするんです」
「札幌ですけど……オレが家まで直接行くわけじゃないです。自防庁に連絡すれば、警察に要請がいきますから。大丈夫ですよ」
「自……防庁……?」
「自殺防止庁です。 さ、早く教えて!」
 私は、なにも知らない。
 本当に、なにも。
「わからない……どうしたら……」
「ヒロインさん。ちょっとここで、動かずに待ってて。セーブとロードで、数秒ズレがあるはずだから」
 ヒーローくんが、立ち上がって私の肩をぽん、と叩いた。
 花火の、音が、ドン! となると同時に、ヒーローくんの姿はスッと消える。
(セーブして、ゲームから出ていったんだ……)
 ヒーローくんが見えなくなると、急に心細くなってきた。
(自殺防止庁に連絡……ってことは 私、死のうとしてたの? なんで?) 
 心細くて、涙が出てきた。なにも覚えていない。思い出せない。――思い出したくない。
「お待たせ」
 花火の合間より短く、ヒーローくんが戻ってきた。ほんとうに一瞬だ。
「ヒーローくん! よかった……怖かった」
 一瞬だけでも、本当に心細かった。私はゲームキャラみたいなセリフを言って、ヒーローくんの帰りを歓迎していた。
 ヒーローくんは、笑顔でハンカチを差し出す。優しい人だ。
「もう大丈夫。自防庁にコンタクト取れました。助かりますよ、ヒロインさん。それで……次は、オーバーシンクロシンドロームの後遺症を、最小限に留める対策をしたいんです。急に回線を切ると、脳に損傷が残る可能性があるそうですから」
 後遺症、脳、損傷。恐ろしい単語の羅列に、私は震えあがった。
「な、なにをすればいいんですか?」
「思い出してください。現実の自分のことを。――田中久美子さんですよね?」
 田中久美子。――苗字ヒロインよりマシだけど、全然ピンとこない名前だ。
「SNSアカウントを見つけました。ハンドルネームはHAKU。『ドラストコスメで毛穴と闘うHAKU』になってました。ドラストコスメってなんですか? 化粧品?」
「ドラッグストアで入手可能な、比較的プチプラな化粧品のことです」
 名前より、そちらの方がよほどピンときた。淀みなく説明ができる。
「プロフィールにあった、最近ハマってるレチノールっていうのは……」
「ビタミンAです。表皮のターンオーバーを促進させる、アンチエイジングの強い味方なんですよ」
 スラスラ答えが出てくる。これは、私の得意分野だ。
「なるほど。自己紹介に、アラサー、とありました。アンケートモニターサイトの登録情報によれば、20代後半。実家暮らしで、郵便番号は050-0054。小売業でアルバイト勤務。軽自動車を持ってるみたいです。年間、現金で七千円くらい謝礼もらってますね」
 詳しい。詳しすぎて、気持ち悪い。ヒーローくんの説明に、私は眉を寄せていた。
「なんでそんなことまで……わかるんですか?」
「ハッキングしました。ごめんなさい」
「ハッキング!?」
 非常事態だ。救命のために窓を割るようなものだとは思うけど――さすがに驚く。
「そういうの得意で。でも安心してください。ここを出たら、情報は全部消しますから」
 言葉を続けようとした、その時――頭に蘇ってきたものがある。
 白鳥大橋。イタンキ浜。ジャージで出歩く若い男女。雪国なのに車高の異常に低い車。スーパーの床に落ちている、漁師さんの長靴から落ちた魚の鱗。要塞みたいな工場群。鏡みたいなつるつるの凍結路面。
 ――これは、現実の私の記憶だ。
「……勉強がしたかったんです。本当は」
 ぽつり、とこぼれた言葉は、現実感があるようで、ない。
 他人事みたいで、それでいてどこか生々しい。不思議な感覚だ。
「思い出せてきたみたいですね。その調子です!」
 ヒーローくんは「よかった」と明るい笑顔で言った。 
 全然よくはない。
 現実の私は、いつでも悲しくて、寂しくて、満たされなかった。
「人生をやり直したかった。……こんなはずじゃなかったんです、本当は。でも、失敗ばっかり……」
 ゲーム世界を出れば、絶望に満ちた現実の世界が待っている。
(戻りたくない。現実よりこの世界の方がマシよ!)
 私は、ハンカチを握りしめたまま立ち上がり、公園の外へと向かって走り出した。
「待って、ヒロインさん!」
「私、戻りたくない!」
 ヒーローくんの手が、私の手首をつかむ。
 振り返れば、花火を背にしたヒーローくんが、私を見つめていた。あたかも乙女ゲームの攻略対象のように。
「絶対に、この手は放しません。行かないで、ヒロインさん」
「お、乙女ゲームみたいなこと言わないでくださいよ!」
「オレたちが出会ったのは、偶然じゃないんです!」
 セリフも、攻略対象そのものだ。私の頭は、ますます混乱した。
「偶然じゃなかったら……なんだっていうんですか!」
「オーバーシンクロシンドローム。――オレも、起こすつもりでここに来ました」
 つまり――彼も、死のうとしてVRの世界に飛び込んでいた、ということだ。
 私は慌てて、ヒーローくんの手を強く握り返していた。絶対に放せない。さっきのヒーローくんの気持ちが痛いほどわかる。
「だ、だめよ、そんなの! 絶対だめ!」
 現実から逃げたい気持ちなんて、一気に吹き飛んだ。
 捨てていい命なんて、あるわけがない。
「オレ、病気なんです。手術が近くて。……成功するかどうかわからない。仕事も続けられなくなって、恋人にもフラれました」
「私……失敗続きだった。大学進学は親に反対されて、短大には行けたけど、就職面接の時の試験官に一目ぼれされて……つきあった直後に既婚者だってわかったの。その上、奥さんから慰謝料請求されて、仕事は辞めざるを得なくなって、実家でバイト暮らし。父は死んで、母は介護が必要になって……もう生きていたくなかった。そんな私が勝手なこと言うけど――命は大事にしてほしいの、ヒーローくん。貴方みたいに人助けができるすごい人、人類の宝だと思います!」
 ヒーローくんは、ふっと笑う。
「大丈夫ですよ。もう、自防庁の人にバレましたから。ここを出たらゴーグルも没収です。失敗しちゃいました」
 私の命を救うには、自防庁に連絡するしかない。連絡すれば、自分の望みは叶わなくなる。それを承知の上で、ヒーローくんは私の命を優先してくれたのだ。
「……ありがとう、ヒーローくん。大丈夫そう?」
「はい。しょうがないので、手術受けます。ヒロインさんは?」
「なんとか、大丈夫そう。この世界に毛穴はないけど、勉強も全然できないし。……手術、上手くいくよう祈ってます」
「オレ、ヒロインさんも人類の宝だと思いますよ。……勉強、できるといいですね。応援してます」
 私とヒーローくんの手は、いつしか、どちらからともなく繋ぎ合う形になっていた。
「……ヒーローくんの名前、聞いてもいいですか?」
「ちょっと待って。先に伝えておかないと。ゲームから出たら、パスワードだけは変えましょう。ハンドルネームに自分の誕生日って、最悪ですよ」
 ♪~
 突然、ドラマチックな音楽が流れだす。
「ヒーローくん、あの……」
「ヒロインさん、オレの名前は……」
 花火がパァッと綺麗に見えて――それが、ゲーム世界での記憶の最後だ。
 遠くで、ドアをどんどんと叩く音が、聞こえたような気がする。田中さん、田中さん。開けてください――と。


 目覚めたら、病院にいた。
 田中久美子。二十八歳。162センチ、B型。趣味はドラストコスメ美容研究。
 私は、喪服姿で倒れていたらしい。母を介護の末に看取り、葬儀が終わった直後だった。家には一人きり。あのままVRの世界にいれば、死んでいたに違いない。
 幸い大きな後遺症も残らず、入院も二日で済んだ。――ヒーローくんのおかげで。
 自防庁からのアフターケアは充実していて、就職先をいくつか紹介してもらった。資格試験の案内も。そして――その中の一つが、私の人生を変えた。


 二年後。
 私は、自殺防止庁札幌支局サイバー課の事務員になった。
 入庁試験の年齢制限は三十歳。私は、必死になった。スーパーでのアルバイトを続けながら、それ以外の時間はとにかく、勉強して、勉強して、なんとか合格できた。
 その後、東京で一年間の研修。またも勉強の日々
 ゲームの鬱憤が原動力になり、今や日本史は得意分野だ。中大兄皇子は即位して天智天皇になった。天武天皇は天智天皇の弟。天武天皇の奥さんは、天智天皇の娘で、のちの持統天皇だ。
 ――今日は、札幌支局での勤務初日。
 サイバー課の仕事も様々。仕事内容がぞれぞれ特殊なので、部署によって研修はバラバラだった。同期と顔をあわせるのもはじめてで、これから歓迎会がある。
「ね、見た? あれ。『運命の人』」
「すごいよね。すっごい運命!」
 廊下を歩いていると、制服を着た女の子たちが、華やかな声で話をしている。
(運命の人? なんだか、乙女ゲームみたい)
 玄関からすぐのところにある、掲示板の前に人だかりができている。
 貼られているのは、研修最終日に書いた、お薬手帳サイズのカードだ。内容は、志望動機。
 その真ん中辺りを、皆が指さしている。
(あれ? あのカード、私の?)
 皆が指を向けているのは、私のカードだった。
『私は、二年前に自防庁の職員の方に救われました。今度は、自分が人を救う立場になりたい、と思って応募しました。通報してくれたヒーローくんの勇気は、今も私の心を支えてくれています。(田中久美子)』
 周りで「すごい」「運命!」「隣に貼ったのわざとだよね」と声が聞こえる。
(隣? 私のカードの隣ってこと? あ……)
 私のカードの隣を見れば、『ヒロインさん』の文字が目に飛び込んできた。
『二年前に、ある女性に救われました。彼女の一言のお陰で、今、ここにいます。あのヒロインさんのように、人を救える人になりたいです。(諸岡修一郎)』
 私は、思わず口を押えて「嘘……」と呟いていた。
 横の、少し高いところで「嘘だろ……」と声がする。
 そして、お互いに「「え?」」とその声に気づく。
 ♪~
 どこからともなく、ドラマチックな音楽が聞こえてきた――のは気のせいだろうか。
 私は、恐る恐る、横を見る。
 そこにいたのは、私の――運命の、人。